「私とバスケットボール」 by段原純
私達の中で一番バスケに対する思い入れが「熱い」段原が、5月の試合を前に高校時代のバスケにまつわる思い出をシェアします!
「私とバスケットボール」
私が本気でバスケを始めたのは高校生の時でした。小学校から一緒に色々なスポーツをして来た仲間と「高校へ入ったら一つのスポーツに集中して日本一の高校になろう」と決意しました。そこで、僕達が中学校の時に一番尊敬していた先輩に「一番カッコいいスポーツは何ですか?」と聞いたら「それはバスケに間違いない」と返事をしてくれたのでみんなでバスケをすることになりました。
高校へ入ってから毎日バスケの練習はノンストップでした。四時間の部活の練習が終わって家に帰ってからも近くの公園でスプリントしたり、28階あるマンションに入り込んで屋上まで階段で何回も管理人さんに怒られるまで上ったり、ボールのハンドリングがもっとうまくなる為に手袋をしながらドリブル練習したり、土日はインターネットとか雑誌で調べて東京で一番うまい人がバスケしてる場所に対戦しに行ったり、一日24時間、週七日間、常にバスケの事を考えてました。家に帰ってもインターネットで当時高校生だったレブロン・ジェームズのヴィデオを見たり、寝るときはボールを抱きながら寝てました。部屋の天上には「お前が休んでる間に他のやつらは練習してもっとうまくなってる」と言うフレーズを大きくプリントして貼って自分を奮い立たせていました。
みんなが頑張った結果、日本一の高校じゃなく二年連続アジア大会優勝することができました。一人か二人のスターがいたから勝ったのではなく、チームワークを使いみんなが他のチームメイトのプレイスタイルを理解していたからそこまでチームが上達したんだと思います。
バスケのお陰でバスケ部のみんなは高校で凄く人気にもなって先生達にも優しくしてもらっていたので正直、調子に乗っていました。しかしそれが私の一番の失敗でした。
高校三年の時の、私が所属していたバスケ部は関東リーグで10試合中9試合勝っていて、最後の一試合を負けてもリーグチャンピオンになるという状況でした。最後の試合はうちの高校の体育官で全生徒とバスケ部の選手達の親の前で行なわれました。相手は10試合あるリーグ戦で5勝4敗という成績を持っていたチームでした。誰が考えてもこの試合は余裕でうちが勝つと思っていました。僕達も相手をなめて遊びみたいな感じで試合に挑みましたが、相手は全力でした。相手をなめた結果、高校生活三年間、毎日練習と試合をやってきた体育館での最後の試合に普段だったら絶対に負けないチームに負けました。バスケから学んだ事は、消して何事も甘く見ない事です。何事にも全力、そして相手をリスペクトする気持ちは大学生、そして社会人になった今でも常に持っています。この教訓は私にとって人生の財産になっています。
段原 純
04/29/2010
p.s.
今回スポンサーするにあたって、FXDDジャパン7人のバスケ(スポーツ)と音楽に対する思いをそれぞれ「自分と音楽」、「自分とバスケ(スポーツ)」という題でニュースレター5月号に掲載しました。是非お立ち寄りください。